移住体験談
東京のIT企業を運営しながら、香川で移住希望者の受け皿づくりをしている大西正人さん
大西 正人さん:三豊市在住・2015年移住・40代
- Uターン
- 起業
「雇われる」ことから、「仕事をつくる」ことへ思考を転換
財田町は自然が豊かな町ですが、高校時代までの僕はその良さに気づかず、「とにかくこの田舎を出たい」と思っていました。だからといって東京に行きたかったというわけではなく、たまたま新聞奨学生を受け入れていたのが東京の事業所だったことから上京し、そのまま東京の大学に進学しました。東京では、演劇にはまって仲間と一緒に劇団を立ち上げるなどして、まさにやりたいことにまい進していたと思います。20代半ばになって、そろそろ社会人として働こうと思いだし、ITベンチャー企業のアルバイトを始めました。やがてその会社で正社員になり、10年くらい企画営業とディレクターとして働いていたのですが、その間、何度もUターンを考えていました。ですが、財田町から通える距離で希望に沿った就職先がほとんどなかったんです。これが一番のネックとなり、なかなか地元に戻れずにいました。地元での就職先を探しては諦める、ということを何度も繰り返すうちに、自分は雇われることばかりを考えて「仕事をつくる」ことに頭が回っていなかったことに気づきました。
また、よくよく考えると、「田舎は仕事がない」と言われる一方で農家は慢性的な後継者不足に頭を抱えています。こうした地域課題を解決するサービスを自分の仕事にできないだろうかと考えました。そこで思いついたのが、農家と就農希望者のマッチングです。これを事業化するために、まずは自分が農業を実践してみようと思い立ち、三豊市にある妻の実家で農業を手伝うことにしたのです。
一方で、東京の仕事も順調だったので、すべてを捨てて香川に戻るには勇気がいりました。そこで、まずは東京で働いていた会社を辞めてI、T企業「株式会社Giallo」を設立し、会社を残したまま香川での生活を始めることにしました。おもな業務は、僕と一緒に会社を立ち上げたメンバーに任せています。事業として移住希望者の受け皿をつくる
2地域生活を始めた最初のころは、1カ月のうち10日間は東京でIT案件の打ち合わせなどを行い、20日間は香川で農業を手伝いながら農家と就農希望者のマッチングにからめた農業体験や視察の受け入れをしていました。そのときに気づいたのが、「近くに泊まるとことがない」という問題。そこで、空き家を借りて2015年にゲストハウス「二升五号」をオープンすることにしました。この空き家探しも結構大変でした。空き家を見つけても、大家さんがゲストハウスの概念を理解してくれず、なかなか貸してもらえなかったのです。今の物件は、たまたま大家さんが高松に住んでいて、僕の活動を理解してくれたので借りることができました。
現在、「二升五号」は、施設名の前に「ゲストハウス兼地域コミュニティスペース」とつけています。宿泊施設だけでなく、県外から訪れた人が地元の人と交流できる場所になりつつあるからです。具体的には、夜は地元の人が立ち寄れるバーを営業し、毎週水曜は地元のお母さんが作った料理をみんなで食べるご飯会をやっています。ほかにも、不定期にイベントを企画して交流機会を増やしていき、移住希望者だけでなくすでに移住したばかりの人の受け皿になりたいと思っています。また、お米に付加価値をつけたいという思いで、お土産用のお米を商品化しました。パッケージデザインは自社で行い、ゲストが気軽に持ち帰れるように携帯性についても工夫しました。これから広く売り出していきたいと思っています。
東京とのつながりを持ちつつ香川で事業化を目指す
2地域での暮らしは、都会と自然の両方が楽しめますが、10カ月も続けると身体的・精神的なしんどさを感じてきました。そこで少しずつ東京に行く回数を減らしていき、今では月に1〜2回上京する程度になりました。借りていた部屋は引き払い、東京に行ったときは自社が運営しているシェアハウスに泊まっています。約20年も東京に住んでいたのに、たまに行くと駅で迷うなどして馴染めなくなるんですよね。ですが、20代〜30代を過ごした東京でのつながりは持ち続けていきたいので、今の暮らし方がちょうどいいですね。
財田町での暮らしは、普段は「二升五号」でゲストハウスの管理やイベントの運営を行い、週に数回は新しい地域プロジェクトの打ち合わせなどで町外に出かけています。その合間に、妻の実家の農業を手伝っています。農家と就農希望者のマッチングをしたい、という最初の気持ちを忘れないために、これからもなんらかの形で農業に携わっていきたいと思います。
ここ2年ほどで、僕の取り組みが地域の方に理解されるようになり、最近では、近所の人から「空き家を借りないか」と声をかけていただくようになりました。活動そのものはゆるく楽しくやっていますが、やがてはこの取り組みを自社「株式会社Giallo」の一事業にできればと思います。(2017年4月現在)