熊本県で生まれ、親の転勤で北海道に引っ越し20年あまりを北の大地で過ごす。札幌の設計事務所、IT関連企業の営業職を経て、香川県高松市で半年暮らし、小豆島に移住。「NPO法人 DREAM ISLAND」設立。
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小豆島に飛び込み10年 よそ者の目で島の魅力を発信したい
連河 健仁さん:小豆島町在住・2006年移住・40代
シーカヤックのツアーガイドや島ガイド、カフェを運営しながら小豆島の魅力を伝える連河さん。移住10年目を迎えて島暮らしを振り返ってもらいました。
瀬戸内海の美しさに心がときめいた
札幌のIT関連企業で働いていたころ、ITバブルを体験しました。自分の仕事がマネーゲームのように思えて空虚感にとらわれてしまったんです。いったん会社を辞めて、旅に出ることにしました。。なぜ香川県を選んだかというと、今まで僕が落ち込んだときに支えてくれた友人がみんな四国出身だったことを思い出して、なんとなく縁を感じていたからです。
半年くらいは高松を拠点に、四国をあちこち回りました。ある日、高松港でぼんやり海を眺めているうちに突然、衝動に駆られて目の前の船に乗ってしまいました。船から眺める瀬戸内海はどこまでも穏やかで、島がぽつぽつと見えて・・・。そんな風景に心躍る、というのか「瀬戸内海に住みたい!」と固い決意がわき上がってきたんです。あんな気持ちになったのは生まれて初めてでした。その船の向かった先が小豆島。着くなり僕は、島の不動産屋を探しました。今でこそ移住者が多い小豆島ですが、当時はまだ珍しかったので、不動産屋のご主人が驚いていましたね。
「島で仕事は決まっているのか?」と聞かれて「決まっていません」と答えると、「不動産業は信用が売りの商売だから、仕事が決まらないと仲介できない」と言われました。そう諭されたので、高松に帰ってすぐさま小豆島でやりたい事業の計画書を作ることにしました。
自分でできる仕事を創り出す
僕が小豆島で考えた事業は、ITとアウトドア。当時の小豆島は、県外の人が欲しがる観光や暮らしの情報が十分に発信できていないと感じていました。そこで自分のITの知識を生かして小豆島のウェブサイトを作ること、さらにシーカヤックのツアーガイドをやって、瀬戸内海の魅力を実際に体験させてあげたいと思いました。その2本を柱に作った事業計画書を持って、不動産屋をもう一度訪ねました。するとご主人は、「よっしゃ、それなら物件を探そう」と動いてくれて、2日後には海沿いのアパートを借りることができました。
その事業計画書を持って、次は町の観光協会でプレゼンをしました。すると応対してくれた女性が「それこそ私がやりたいと思っていたこ」と喜んでくれました。話は意外な方向に進み、私の計画に共感してくれた彼女は観光協会を辞め、僕と一緒に事業を立ち上げることになったんです。その会社が、「NPO法人 DREAM ISLAND」です。
よそ者だからできることがある
現在は、ITとアウトドアのほかにカフェも運営しています。カフェのお勧めは、おにぎり。千枚田(せんまいだ)と呼ばれる階段状の田んぼが目の前に広がり、そこで穫れたお米がメニューのおにぎりなんです。最近、その千枚田高齢化と後継者不足に伴い休耕地が増えてきたため、僕たちがその田んぼを借りて米作りにも挑戦することになりました。
なぜ、代々大切に守ってきた千枚田の一部を僕たちに貸してくださるのか。決して僕の人徳ではありません。会社のスタッフ2人が地元の人間で、信用があるからなんです。昔、ある人から「スタッフはよそ者2割、地元8割くらいがちょうどいい」と教わったことがあります。僕もそう思っています。今一緒にやっている地元のスタッフは、入社当初はスキルがなくても、がむしゃらに頑張ってぐんぐん力をつけます。それはおそらく、ここで骨を埋めるつもりで、他に逃げ場がないという気持ちだからだと思います。
もうすぐ僕の小豆島暮らしも10年目を迎えます。移住者の受け入れ体制が整い、I・Uターン者は年間200人を超えるようになりました。動機は人それぞれですが、都会がいやになって逃げるように島に移住するよりも、「島の住民になりたい」という気持ちで来た人のほうが、うまくいくようですね。がむしゃらに頑張りますから。僕自身も最初のうち、「あいつは3年たったら、もう島にはいないよ」と言われましたが、さすがに最近そんな声は聞きません。島暮らしが10年たっても、僕はやはりよそ者。自分がそう思うことで、地元の人たちが気付かない島の魅力を発信したり技術的なお手伝いをしてゆきたい。よそ者しかできないことで島に貢献し続けるつもりです。